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Posted by みさき on 2003/03/09 13:48:56: In Reply to: 経過報告 Posted by シャイガール on 2003/03/09 02:23:11:
*「恋人は良きパートナーとして、ぶつかったり仲良くしたりってすると思うけど、今の自分にはホントなにも確かなものがなくて。だから、頑張るんですけどね。」 私の感想は、「シャイガールさんが、こういうふうに恋人をとらえるようになったんだな」ということ。そして、私は初恋から、いくつか恋をしてきたけれど、これを実感したのが、最近であること。主人との関係(人間関係、夫婦関係、恋人関係などなど)を考えつづけ、ようやく、頭で理解し、実感として今私の身の中にあるということです。 そこから、わたしは、恋にも愛にも、日常生活のなかに、*はあり、何においても言えることであるとも気づきました。 例えば、*の文章の、主語、「恋」は、「愛」「仕事」「家事」「趣味」「私」「友達」「両親」「家族」「病」・・・。置き換えて考えることのできることが、無限にありそうに思えます。 人間の生きていく中にあると言いますか、それはまた、日常生活でもあり・・・・。恋がこのことに気付かせてくれたのか、恋心がどんなことの中にも、抱けるものなのか、考えてしまいます。 もし、どんなものの中にも、どんなものに対しても、抱けるものだとしたら、恋心のあり方はかなり多様なはずです。多様にある恋心のあり方を、発見し、身につけ、活用し、良きパートナーになること。ときには、ぶつかったり、仲良くなったりしてね。 では、恋=恋心となると、数学的な=の意味がなくなるから、私はこう考えます。恋=故意心 恋=濃い心 かと。 永くたくさんここでお話ししても、なんですから、百聞は一見にかなわない、というのを信じて、昨日見たビデオを紹介します。 「アメリカン・ビューティー」「エバーアフター」「オータムニューヨーク」心のあり方によって、こい心はこんなにも変化するものなんですね!そして、ことばの表現の仕方によって、こんなにも言いたいことが私に伝わってくるなんて、と感じた作品です。 一枚の絵の中に、文字、人、物などの絵を他のものにまぎらせてかきこみます。それを探させる趣向が映画にはあると思います。 これを日本語では、「判じ」と言います。「はんじ」は善悪などの価値を決めるイメージもありますが、上記の意味もあります。また、物事は、善悪にわけることができず、美醜などに分けることもあります。このように物事の善悪、美醜、是非などの価値を定めることを評価といい、評価し、論じることを、批評といい、批評し論じることを評論と言います。 評論します?評論家のように!!もちろん、上記の映画意外でも喜んで といいますか、もう、すでに私はシャイガールさんと色々なことを評論しつつあると思いますけれど。 ただ、私は、善悪、是非は意識してお話しないようにしていますから、「判じ」までしか、できていないんですけれどね。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんけれど、わたしは「がんばってください」ということばを極力使いません。 「頑張る方向、方法、今が、頑張るべきか、そうでない時なのか」が悩みを形成していると考えていますから、がんばって、というひとつのことばは、善悪、是非を考えて!自分で、というように思えてしまうからです。 この私の考えは、全国万人共通ではありませんから、 私の考えが理解できない方がいらっしゃったとしても、不思議はありません。それが、普通でしょう。ですから、この考えが理解できない方にとっては、私は心無い、または心の見えない評論家にみえるのかなーと最近感じました。見えるのですから、そういう私が存在することもあるのでしょう。
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