|
Posted by みさき on 2003/03/24 22:05:52: In Reply to: みさきさんの「話し方」への姿勢に関して Posted by チヨ on 2003/03/24 19:59:57:
「自分の受けた感情が相手と一致しないことを自覚し、どう自分自身の心を整理するのか」 私は、第一印象で感じたことが、何であったのか、理解できないことはないか、理解に苦しむことはないか。自分の理解したことは、どんなことであるのか、心(頭)の中を整理します。 今回のチヨさんのお話で考えますと、チヨさんのお話から私は何か、勢いを感じ、これが、何の、どこに向かっている勢いなのか、心(頭)で整理している最中です。 ー私の意見を否定し、お話になりたいご自身の意見があるのか、心が叫んでいる「私はそうは思わない」がどこにかかっているのか。人を傷付ける言動をしてみたいと本心から思うのか、思うならば、何故、終始、それを、貫かないのか。神経を使わず、気配りもしない話し方とは、一体、どのような話し方をイメージしておられるのか。未熟、不躾がチヨさんの心(頭)のどこに存在しているのか。回りの人々の様になりたい、本当に、自分が目標とする人々なのだろうか。話し方教室の学びとは、何を学ばれたのか。ご自身の自覚する内面と、他者が判断しているチヨさんの内面の差を分析されたことがあるのだろうかー と。 第一印象が、何かわからないが、大きな勢いを感じたのに対し、今回の印象は、何十にも絡まった糸のようなものを感じた。中には、私自身が、突き刺さる感じを受けたものもある。以前の私であったら、この突き刺さる感じのみに心を奪われ、腹をたて、無視するか、あたりさわりのない話でよけるか、ケンカごしでいくかであった。 決して、チヨさんの、思うところをもっと、知りたい、会話を続けたい、チヨさんのことを理解して、チヨさんと私の間で、なにか一緒に理解できるものが、生まれたら、どんなにすばらしいか!などは想像もしなかった。 ことばの存在は私にとって、大きい。好きでもあるけれど、苦手でもある。苦手意識は、物心ついたときからで、幼少のことより、友達付き合いが、苦手であった。噂話など、ことばの字面しか存在しないものに見え、ことばの持つ意味、意味の広さ、深さ、をやりとりできぬ、ことばなど、話すに値せず、友達のご機嫌伺いのことばなど、この世からなくなって欲しかった。 大人と話すことが好きだった。 知らないことを、知ることが出来、自分の思いを、考えや想像したことなど、多岐にわたる内なるものを、ことばの上にのせることができる、というか、ことばに含ませることができる。 内に秘めていても、なかなか、いいえ、全く伝わらないことが、一言、二言、口にしただけで、人に伝わる、逆に、相手のことばから、考えや想像したことを受け取ることができる。とても、うれしいことだった。自分が好きになった。第一印象が、苦手と感じた人を好きになることも、体験した。相手を好きになると同時に、自分をもっと、好きになった。 ここで、終わらないことを最近知った。好きになってから、相手への感心が増し、もっと、色々なことを、話したいし、話のなかで、理解できないことは、自分自身で、つぎに、相手へ確認の過程を踏みたいと思うようになった。 時には、感情が頭を占領してしまい、自分と相手の感情が一致しないことに、腹を立てることもある。いけないと思っても、一瞬であったとしても、感情的な自分が存在していたことに、気付く。 落ちつくと、感情的であった自分も、また、よしと思う。自分が抱いた感情が、悪いもので、よいのもではないというのは、自分が自分にかけた、ブレーキであって、そのもの自体は、いけない、悪いものではないのだと。 卒業生さんのお話しにもありましたけれど、「正しい、間違い、よい、悪い」はひとつではないし、固定したものでもない。私なら、とらえ方は、無限にあり、正解はなく、とどまるものではないと思う。 言いたいことの半分、お話しできたかどうか。 私は、話し方はコミニケーションの中のひとつだと思う。 1.話す(自己の主張) 2.聞く(他者の主張) 3.話し合う(自己と他者の主張から、新たなる主張を見出す、または、お互いの主張が合意にいたる) 1の話すの目標(ゴールと私は考える)と3の話し合いの目標(ゴール)は異なるように私は思う。コミニケーション上、1のゴールしか見ていない相手に3のゴールの話は見えない。 私は1をゴールとした、取り組み方の姿勢は持たないように心がけている。3のゴールの心地良さを得たいから。3が好きだから。 コミニケーションにとどまらず、ことば(言語)を磨くということは、人間性を磨くことに通じると考えている。 人格がことばに反映するだけでなく、もっといえば、ことばから人格ができると思うから。 これらの考えや思いを基礎とすることが、私のことばに取り組む姿勢となっています。 お会いして、お話している形ではないですし、お互いにどのような人間性の持ち主であるのか、情報を持たぬまま、お話を進めることは、まるで、視覚を奪われた上で、話をするといいますか、何か決定的なものが、存在しない中で、話をする異様な感じが、私はします。 しかし、考え方を変えると、日常生活において、自分が話す相手も、同じような状況であるとも言え、日常、異様な感じを得ないのは、なぜであろうかと・・・。 チヨさんが、この形を異様と感じられるかどうか。
|
このメッセージに返事を書く |