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Posted by みさき on 2003/05/23 22:19:27: In Reply to: あがりについて Posted by ヒュージ on 2003/05/21 23:40:52:
あがる(という動作)はあがっている(感情)にしたがって起こるように見えます。でも、動作と感情に意思が絡んでいるように私は思う。動作のほうは意思によって直接コントロールすることができるけれど、感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接的にコントロールすることができる。つまり三角関係にあるとというと、イメージしやすいだろうか。 落ち着きを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも落ち着いているようにふるまい、落ち着いているようにしゃべることであり、これらを行うという意思があればよいのです。 これは何もアガリ、落ち着きの無さだけではなく、快活さを失った時、笑顔を失った時、その他どんな時でも言えることだと私は思います。 ここで、ひとつ別の話をします。魅力的な微笑は、その人の人がらをつくりあげ、微笑むという動作はことばよりも雄弁であったりする。その微笑みはこう語っているかもしれない。 「私は、貴方が好きです。貴方のおかげで私はとても楽しい。貴方にお目にかかれてうれしい。」こう考える時、私は、愛犬モモの姿を思い浮かべる。彼女が、かわいがられるゆえんは、ここにあるのかと。 横道から、戻りましょう。あがるかあがらないかで気になり、不安に思い、あがるという動作が出てきたのかどうか、私の考えはこうです。「貴方があがるという動作を知ったから、あがりという感情も知ったから、出てきた。その昔、人間が恥ずかしいという感情を知り、恥ずかしいという動作を知ったように・・・かと」 私は自分がかわいいから、自己防衛本能も強いと思う。あがるとあがるもんかと強気に立ち向かっていた。でもふと考えたら、あがることに強気に立ち向かって何の意味があるのだろうかと疑問に思えた。相手は笑顔で手をふっているかもしれない。「あんた、やっとあがるということを知ったね、これからはお互い仲良く付き合おうね!」なんて・・・。 我が家の犬のように満面の笑みはまだできないけれど、苦しいながらも微笑んでみると、続けて笑えてきた。「なんで、私はこんなに力んでいるのだろう、まるで、自分で首をしめているみたいに息がつまっている」正直に言ってしまえば楽になれる、なら言っちゃえ!!「私、今、とても緊張して、あがってます。・・・・」 そして、あがっている自分がウソのように、普段話しているみたいに話している自分になった。 普段話しているように話したいと強く思い、普段している動作で話をしたんです。決して上手な話し方ではなかったと思う、でも、私は満足しています。話したいことを話したいように話せたから。 私の見方は、ほんの一例にすぎません。正しくもあり、正しくないもあり、貴方の見方ひとつで、どちらにもなり得ます。 あがりもそういうものなんじゃないかなー。
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