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Posted by Come Follow Me on 2005/08/04 12:43:46: In Reply to: 精神不安定 Posted by せんこう on 2005/08/03 21:41:36:
起こることはすべて起こる。あなたは未来に 期待を抱いていない、演技してはいない。 だとしたら、なぜ神経質にならなければならないかね? その心をコントロールするためには、生のエネルギーが 自分の手足、からだに流れ込めなくなるほど冷たく、凍り ついていなければならない。もしエネルギーが流れるのを 許したら、こうした抑圧が表面に浮かび上がってくる。だ からこそ人びとは、冷たくあるにはどうすればいいのか、 相手に触れても触れないようにするには どうすればいいのか、人びとを見ても見 ないようにするにはどうすればいいの か、その方法を学んできたのだ。人びとは陳 腐な決まり文句で生きている。 「こん にちは、ご機嫌いかがですか」。誰も本 気でそう思ってはいない。こうしたこと は、ふたりのほんとうの出会いを避けるためのものだ。人 びとは互いに相手の目を見ない、手を取り合わない、互い のエネルギーを感じ合おうとしない、相手の本音を聞こう とはしない、ひじょうに怖れている。拘束服で身を固め て、とにかくなんとかやり繰りしながら、冷たく、死んだ ようになっている。私たちが惨めなのは、あまりにも自己に入り込みすぎて いるからだ。あまりにも自己に入り込みすぎていると私が 言うとき、それはどういう意味だろう? そして、私たち があまりにも自己に入り込みすぎていると、正確にはなに が起こるのだろう? あなたがたは存在のなかにいること ができるか、あるいは自己のなかにいることができるか、 そのどちらかだ。 同時に両方はありえない。自己のなかにいるということは、離れている、わかれているという ことだ。自己のなかにいることは、島になるということだ。 自己のなかにいることは、自分のまわりに境界線を引くということだ。自己のなかにいることは、「これは私」と 「あれは私ではない」を区別することだ。「私」と「私では ない」の定義、境界、それが自己とはなにかだ。自 己は孤立する。そして、それはあなたを凍りつかせる。 あなたはもはや流れていない。もし流れていたら、自己は 存在することができない。人びとがほとんど角氷 のようになっているのはそのためだ。彼らには暖かみがまるでない。愛がまったくない。 愛は暖かみであり、彼らは愛 を怖れている。もし暖かみが訪れたら、彼らは融けだし、 境界は消えてしまうだろう。愛のなかで境界は消える。 喜びのなかでも境界は消える。喜びは冷たくはないからだ。 宗教的な人びとはみな、こう言っている「私たちはこの世に独りでやって来て、独りで去っていく」これは、多くの時代を経て、何度も何度も言われてきたことだ。いっしょにいるということは、すべて幻想だ。いっしょに いるという考えそのものが、私たちは独りであり、その孤独が痛みを伴うからこそ生じる。私たちは自分たちの孤独を関係のなかでまぎらわせたいのだ。 私たちがこれほど愛に熱中するようになるのはそのためだ。要点を見ようとしてごらん。普通、あなたがたは、自分がある女性あるいは男性と恋に落ちたのは、その彼女あるいは彼が素晴らしいからだと思う。それは真実ではない。真実はまさに逆だ。あなたは独りでいることができないから、恋に落ちたのだ。あなたは落ちようとしていた。いずれにしろ、自分を避けようとしていた。そして、なかには女性や男性とは恋に落ちない人たちもいるそうなると、彼らは金と恋に落ちる。金へと、あるいは権力闘争へと入り込み、政治家になる。それもまた自分の孤独を避けることだ。もし人をよく見たら、自分を深く見守ったら、あなたは驚くだろう。あなたのあらゆる行動をたったひとつの根源へと還元することができる。その根源とは、あなたは孤独を怖れているということだ。ほかはすべて言い訳にすぎない。ほんとうの原因は、自分はひじょうに孤独だということにあなたは気づいているということだ。 禅では、こう言う。「偉大な言葉と偉 大な教えは生死をわける敵だと思うがいい」と。それらを避けることだ。 あなたは、あなた自身の源泉を見いだ さなければならないからだ。 あなたは従う人、真似する人であってはな らない。一個のオリジナルな個人でなければならない。どんなガイドもなく、道案内の教典もなく、あ なた独りで自分のもっとも奥深い核を見いださなければ ならない。それは暗い夜だ。だが、問いかけるその 激しい火によって、あなたはかならず日の出に辿 り着く。激しい問いかけで燃え立った人はみな、 日の出を見いだしてきた。ほかの者たちはただ信 じるだけだ。信じる者たちは宗教的ではない。彼 らは信じることで、宗教の最大の冒険を避けてい るだけだ。 今あなたに起こっていることは、全体なるもののエネルギーが、あなたを乗っ取っているといういことだ。 あなたは乗っ取られているのだ。もはやあなたはなく、全 体がある。この瞬間、沈黙があなたに浸透していくにつれて、あなたはその沈黙の意義を理解できるように なる。というのも、それはゴータマ・ブッダ が体験したのと同じ沈黙だからだ。それは 同じ沈黙だ。その沈黙の味は同じだ。 時代は変わる、世界は変化しつづける。だが、沈黙の体 験、その喜びは、変わらず同じままだ。それこそが頼りに なる唯一のもの、けっして死ぬことのない唯一のものだ。 それこそが、あなたの実存そのものといっていい唯一のものだ。 もしあなたが、あなた自身の内側に自分の真理を見い だしていたら、この全存在のなかにそれ以上見いだすもの はなにもない。真理はあなたを通して働いている。あなた が目をあけるときは、真理が自らの目をあけている。目を 閉じるときは、真理が自らの目を閉じている。 これは途方もない瞑想だ。その仕掛けをまさに理解で きたら、あなたはなにもしなくていい。あなたがしている ことはすべて、真理によってなされている。あなたは歩い ている、それは真理なのだ。あなたは眠っている、その休 んでいるのは真理なのだ。あなたは話している、話してい るのは真理なのだ。あなたは沈黙している、その沈黙して いるのは真理なのだ。 これはもっとも単純な瞑想テクニックのひとつだ。ゆっ くり、ゆっくりと、この単純な方式によってあらゆること が落ち着いてくる。そうなったら、テクニックは必要ない。 癒されたら、瞑想は捨てるものだ、薬は捨てるものだ。 そうなったら、あなたは真理として生きる。活き活きと、 光を放ちながら、満たされ、至福に満ち、自らがひとつの 歌となって。あなたの生全体がどんな言葉もない祈りになる。 過去、現在、そして未来は、時間の時制ではない。それは思考の時制だ。もはや思考の前にないものは過去になる。思考の前にあるものは現在だ。これから思考の前に来るものが未来だ。 過去とは、もうあなたの前にはないもの。 未来とは、まだあなたの前にはないもの。 そして現在とは、あなたの前にあり、あなたの視界からすり抜けようとしているものだ。すぐに、それは過ぎ去ってしまうだろう。 もしあなたが過去に執着しなかったら……というのも、過去に執着することは、まったく愚かなことだからだ。それはもはやそこにはない。だから、あなたは過ぎたことを悔やんでいるにすぎない。過ぎ去ったものは過ぎ去ったのだ! そして、現在に執着してもいけない。それもまた去ろうとしていて、すぐに昔のことになってしまうからだ……。未来――明日への希望、空想、計画――に執着してはいけない。というのも、明日は今日になり、昨日にな ってしまうからだ。あらゆることが昨日のことになる。あらゆることがあなたの手から抜け落ちていくだろう。 執着は惨めさを生み出すだけだ。 あなたは手放しにならなければならない。 創造性とは、自分がしている行動にあなたがもたらす質 だ。それはひとつの態度、内なるアプローチだ。あなた がものごとをどう見るかという。誰もが画家になれる わけではない。また、その必要もない。誰もが画家だっ たら、世界はひじょうに醜いものになるだろう。生きるこ となどむずかしくなる。そして、誰もがダンサーになれる わけでもない。その必要はない。だが、クリエイター には誰でもなれる。 なにをしようとも、あなたがそれを喜んでやったら、愛 にあふれてやったら、もし、やるというあなたの行動がた んに経済的なものにとどまらなかったら、そうであったら、 それは創造性にあふれている。もしあなたの内側になにか が、そこから成長するなにかがあったら、もしそれがあな たに成長をもたらしたら、それはスピリチュアルなものだ。 創造性にあふれ、神性を帯びている。 創造性が増すにつれて、あなたはもっと神性を帯びるよ うになる。世界の宗教は口を揃えて、神は創造主だ、と言 っている。私は神が創造主なのかどうか知らないが、ひと つだけ知っていることがある。創造性が豊かになればなるほど、あなたは神々しくなる。あなたの創造性がそのク ライマックスに達すると、あなたの生全体が創造性にあふれるようになると、あなたは神のなかで生きている。だか ら、神は創造主に違いないのだろう。創造的な人びとは、 これまでもっとも神に近かったのだから。 自分のすることを愛するがいい。 あなたは牢獄から出てい る、鳥かごから出ている。あ なたは翼を広げることができ るのだ。そうすれば、空全体 があなたのものだ。すべての 星と月、そして太陽は、あな たに属している。あなたは超 えたものの蒼(あお)さの中へと、消 えていくことができる。ただ、この鳥かごへの執着を 落とし、鳥かごから出ていくだけで、空全体があなたのも のになる。翼を広げ、鷲 のように、太陽を横切って飛ぶが いい。内なる空では、内なる 世界では、自由にこそ最高の 価値がある。ほかのことは、 至福、エクスタシーですら、す べて二の次だ。花は数えきれ ないほど無数にある。だが、それらはすべて、自由という 風土のなかで咲くことができる。
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